創作をする上で、自己肯定感が低いと言うのはとても苦労してしまう。初めはそうでなくても、編集者から厳しい言葉を浴び続け、自己肯定感を失ってしまう、と言うのもよくあることだ。 自己肯定感がなくなってしまうと、自分が信じられなくなってしまうから、他者の評価が良し悪しの基準になってしまう。そうすると他者が求めるものを作ろうととする余り、自分を見失い、余計に描けなくなってしまう。 自信が持てないから、そもそも考えが後ろ向きになってしまい、挑戦することもできず、作品の中でも外でも楽し
仕事をしていて、気持ちが楽な週と、なんだかソワソワして落ち着かない週がある。そのソワソワの要因を探ってみると、「不確定なこと」に要因がありそうだ、と気づいた。 人間は「わからないもの」を恐れるとよく聞く。子供の頃、夜にトイレに行くのが怖いのは、廊下の暗闇に何が潜んでいるか「わからない」からだ。 仕事も、そうなのかもしれない。人間関係や締切のようなわかりやすいストレスの他に、「どうなるかわからない」と言うじわっとしたストレスもある気がしている。 マンガ専科も、今日からちょ
どんな一流の人も、たとえば大谷翔平だって、初めから成功だけを積み重ねて、一流になった、ということはないはずだ。むしろその逆で、他の人よりも失敗した数が、めちゃくちゃ多くて、だからこそ活躍できるのだと思う。 たぶん、ただ正解だけ知ってても、ダメなのだ。それはなぜか。 数えきれない間違いや失敗の経験があるからこそ、いち早く今の正解を知り、信じることができる。 常に通用する、正解なんてないプロの道は厳しい。きっと、うまくいくときだけじゃない。相手の投手に対策されてしまうことも
相手が「どの立場から」話しているのか。これを見極めないと、伝わるものも伝わらない。 AIの話、著作権の話、この辺りの話は、クリエイターに向けて話しているのか、消費者に向けて話しているのか、曖昧になってしまう。 誰がどの前提に立って話しているのかを理解しないと、虚空に石を投げ合うような、無意味な論争になってしまうと感じる。お互いに世の中良くしようと想いあっているのに、悲しいばかりだ。 立場はくるくる変わる。一様に相手を判断してしまうと、間違いやすい。 どんな仕事も社会を
今の若い人たちは、本当に絵がうまい。 その理由は、小さい頃からpixivなどでたくさんの上手な絵に触れ、YouTubeなど描き方の動画も潤沢にあるからだ、と言う説をよく聞く。 でも、その理由は、本当にそれだけなんだろうか。 マンガの学校をやっていると、学習の仕方と言うものが、すごい勢いで進歩しているのを、日々感じる。 なぜ高校生が160キロの速球を、投げられるようになったか僕が子供のころは、日本人は体格的に、160キロは投げられない、と言うことをよく聞いた。 でも、
マンガ専科の中で、物語の大きなカタチを掴むために、既存作品の第一話を、4枚の紙しばいにする、という課題に取り組んでもらった。 40人近い参加者が挑戦してくれて、4枚紙しばいがずらっと並んだ。この数だからこそ見えてくるものがある。 今回僕の予想とちょっと違う結果があり、だからこそ得た感覚があった。 4枚の選び方はこんな感じです〇〇な主人公が 〇〇な状況になっちゃって 〇〇を乗り越えて 〇〇を手にいれる ストーリーとは、主人公が何かを手に入れるまでの道筋だ。抽象化す