届ける相手を見極めないと、届かない、という話
相手が「どの立場から」話しているのか。これを見極めないと、伝わるものも伝わらない。
AIの話、著作権の話、この辺りの話は、クリエイターに向けて話しているのか、消費者に向けて話しているのか、曖昧になってしまう。
誰がどの前提に立って話しているのかを理解しないと、虚空に石を投げ合うような、無意味な論争になってしまうと感じる。お互いに世の中良くしようと想いあっているのに、悲しいばかりだ。
立場はくるくる変わる。一様に相手を判断してしまうと、間違いやすい。
どんな仕事も社会を創造しているし、僕もマンガ以外に関しては全部消費者だ。そしてその中間ということだってある。
クリエイターの話題でズレがちなこと。
クリエイターは「作り出す」人だ。どんな世の中になろうと、その状況からどうにか工夫して、何かを生み出そうとする。
一方で、消費者でいるときは、コンテンツは「受け取る」ものだ。
クリエイターに向けて1歩踏み出したばかりの、一部の志望者は、コンテンツをその手が生み出すという、実感が乏しい。これは当然のことだ。
中にはまだ消費者の感覚が残っていて、コンテンツと言うものは、何らかの閃きにより天から降ってきて、その手に「受け取る」ものだと、思ってしまう人もいる。
そんな感じで、一言でクリエイターと言っても、創作寄りか消費者寄りの考え方なのか、いろいろある。
今、「作り出す」話をしているのか、「受け取る」話をしているのか。
一方は、どう作るか、という話をしていて一方は、どう受け取るのか、という話をしている。みたいな状況では、噛み合わないのは当然だ。
主語もズレて「自分」の話ではなくなる
自分がその手で作っていないと、もしくは作っていても、作れている自信がないと「自分がどう作るか」という具体的な話ができないので、クリエイター全体の話に、寄ってしまう。
自分の話をしているようで、自分のことについて言っていない。全クリエイターの代弁をする、みたいなことが起きてしまう。
クリエイターとして、「あなたが」どう向き合うか、という話と、クリエイター「全体が」どういう業界にしていくべきか(そして読者に受け取ってもらうのか)という話は、別の論点だ。
でも今のAI議論を見ていると、このことがぐちゃぐちゃに混ざってる、と感じる。
3行まとめ
クリエイターの発想なら、どんな世の中になっても、自分が誰かに届けたいモノを、作るのみだ。
でも、こんな簡単なことも伝わらない。その手で作り、届けた経験がないと、おそらくこの姿勢は理解しにくい。
今、受け取り手からすると、自分の好きだったもの、尊敬していたものが、壊されている感覚があるのだと思う。そんな時に「どう作るのか」と言われても、ピンと来ない。何も分かってない、となるだろう。
相手がどの立場に立っているのか。相手は多様だ。そのことを忘れてはいけないと思っている。
できごと
さいとうなおきさんの記事を読んだ
感情
少しの悲しみ
気づき
誤解されそうでも、発言する大事さ