仕事の問いと、人生の問いの関係性
先日、コルクに1年間限定で出向に来ているKさんから、打ち合わせの時間をもらえないかと打診があった。
Kさんとは、スクールチームで一緒に仕事をするようになって2ヶ月目。1年間で何か1つやり遂げる目標を決めるために、自分の強みや良いところを教えて欲しいということだった。
もはやその姿勢が最高に強みだし、良いとこだよなと思いつつも、Kさんの仕事上で感じる強みと、人間としての魅力を2つ伝えようと思った。
仕事と人生が一致しているように見える
Kさんの印象として、仕事は仕事、プライベートはプライベートと割り切っているように感じず、なんとなくブレなく身一つな人だなと感じていた。
それは、僕のように、プライベートの時間まで仕事をしすぎて、もはや何が自分の仕事で、何が趣味かわからなくなっている、ということではなく…
どこか仕事で得られる問いの答えが、そのままKさんの人生の糧にもなっているような、そこが分断されている印象がないな、と感じていた。
仕事で結果を出すために知りたいこと、何らかの具体的なノウハウを手に入れたい、と言う事。これは誰にもあると思う。
そこから先、仕事は仕事で明確に線を引いて、そこで手に入れた知識は、自分の人生には関係ない。仕事とプライベートは別だ、と明確に分かれている人もいるだろう。今の世の中、むしろ肯定されるべき考え方だと思う。
でも、抽象度を上げて、仕事で得られた知識が知恵が、自分の人生の幹を太くするなら、それはそれで素敵なこと、なんじゃないかと思う。
人生に問いがあるかということ
多分、Kさんの質問の仕方や、受け答えからそんなふうに感じ取ったのだと思う。もしかしたらKさんは出向なので、帰ってから、ここでの知識を本業で生かさなくてはならない。
そうすると、少し抽象度を上げ、応用範囲を広くする必要があるので、結果的にそうなっていると言うことなのかもしれない。
かもしれないし、人生の問いを、持っているのかもしれない。
何にせよ、僕はこの相談の時間から、そうか、仕事上の問いの答えが、人生の方にも良い影響を及ぼすためには、そもそも人生の方にも問いが必要なのだ、と言う気づきを得た。
仕事は、仕事で、どうやったら売れるのか、とか、知りたい答えは無数にある。では、人生のほうはどうか。僕は何を知りたいだろうか。
創作により人は救われるのか
僕は、山田ズーニーさんのワークショップの中で、自分がなぜこの仕事をするのか気づいたことがある。
僕は一度深く傷ついた人が創作活動によって、漫画でその人生を代弁することによって、もう一度立ち上がることができるのか、それを知りたい。
そうであってほしいと言う願いも込めて。それを確かめたい。仕事上で得られる問いの答えが、人生を通しても知りたいものになっている自覚はある。
みんなは人生を通して何を知りたいと思っているだろう。そんなことに思いを馳せた出来事だった。
人生とか語ってしまい、恐縮極まっております。
まとめ
できごと
Kさんと強みについて話し合った
感情
じんわり嬉しみ
気づき
人生に問いがあると、一体感がある人になる。