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AIの進化によって消えてしまうのは、「人間」と「マンガのキャラ」の境界線なのかもしれない

こんにちは、マンガスクリプトDr.のごとう(@goto_junpei)です。

最近、100年以上前のモノクロ動画をAI着色でフルカラー化させた動画、みたいなものを目にする機会が増えましたよね。映画とかはもちろん、普通のニュース映像や街の様子なんかも含め。

*例えばこんな感じのやつです*

単純に「AIすげぇ!」と思う一方、フルカラー化でよりリアルを感じられるようになった分、そこでイキイキと動いてる皆さんがもう誰も存命ではないと思うと……ちょっと不思議な気分になります。

そもそもカラーテレビが本格化したこと自体が、約60年前の出来事。その当時子どもだった方であれば、まだまだご存命の人も多い。

そう考えたら僕たちって、生まれた時から「フルカラーで撮影された前時代の人たちの映像」をみることができる、ほぼ初めての世代になるんですよね。

これはけっこう意識とか感覚とかの面で、大きな差なんじゃないかなぁと。

もちろん白黒映像はもっと以前からあったし、今でもみることはできるのですが、どうしても白黒だと「昔のこと」という感覚で捉えてしまう。

どういう暮らしをしていたか、みたいなところのイメージが湧きづらいのは、昔だからっていうのもあるけど、やっぱりカラーかどうかという部分が大きいんじゃないかと。

だからこそ、モノクロ動画のフルカラー化なんかをみると、ちょっと奇妙な気持ちになるんですよね。

とりあえず、よくわかんないけど楽しそうな昔の家族っぽい画像


ただ、逆に今から60年後には、それこそ最初からフルカラーで撮影・公開された映像だらけなわけですよ。

しかも60年前と違って、画質なんかはもう技術的に現時点でMAXに近いかもしれず、視聴者からみたら2020年も2080年も大して変わってない可能性だって高い。

画質に差が無いとなると、ぱっと見では2020年なのか2080年なのかわからないから、「なんか街を走ってる車の型が古いな」ぐらいでしか見極めつかない可能性だってあります。

だから今の僕が講座の動画やYouTubeで「こんにちわー!」って言ってる映像が、60年後も(昔の話と気づかず)いろんなところで再生されてるかもしれないわけです。

*ちなみにこちらは3年前の僕。60年後と言わず、いま再生してほしい*


それどころか、最近AIが音声処理で著名人を喋らせる技術が進歩しているように、俳優なんかは「死後、AIが演技を引き継いでいいかどうか」を生前に契約しておくことが常識になるかもしれない。

誰かが「代わり」を演じるのではなく、AIが自走して「本人」になる時代が、すぐそこまできている。

そうなると俳優はある意味「それっぽいことをしゃべらせるための存在」になってしまうわけで、どんどんマンガのキャラと人間の差がなくなってくるのです。

そもそもマンガのキャラは、「架空の人物」に対し、「こいつはこういう価値観だから、こういうこと言いそう」というセリフを作者が重ね、読者がそれを受け入れることで、その存在が成立するわけです。

実在の人物でそれをやろうとしても、本人以外だとモノマネや合成にしかならず、他者が「実在」として動かすようなことは不可能だったわけですが、今はAIの進歩によってそうではなくなろうとしています。

そしてそういうことは、マンガと同じく、カリスマ性や魅力あふれる存在、いわゆる「キャラの濃い人」ほどやりやすくなるでしょう。例えばスティーブ・ジョブズとかブルース・リーとかでしょうか。

死してなお、その人を感じていたいと思わせる人間性。そんな人類代表みたいな人間が、どんどん生成されていく……。

気づいたら、本当にSFみたいな世界線を生きてますね、僕たちは。

もはや、実在の人物とマンガのキャラクターとの間にあるはずの境界線は、消えてしまうのかもしれません。

さらに将来的には、一般人レベルで過去の人も現在の人も電子空間上では同じ存在になるわけで、「SNSで仲良くなった相手が、実は死んでる人だった」とかが平気で起きうることになり、「実在とはなんだ」という哲学的な話にもなってくるわけです。

おぉ。フルカラー映像によって「過去」との境界線が曖昧になってきたと思ったら、AIによって「実在」との境界線すら曖昧になってきました。

そもそも今あなたに語りかけているごとうは、実在のごとうなのでしょうか?

今後は、悪意をもった人がつくった悪意AI、その対となる人がつくった善意AIの争いが始まるのでしょうか。それとも、生成AIに人格を主張し始める団体が登場し、「人間とは何か」という宗教論争みたいなものが始まるのでしょうか。

死してなおAIとして生きることは、生きていると言えるのか。生きるとは、生きようという意志なのか。では、意志とは何なのか……。

うーん、本当にマンガみたいだし、実際こういう話こそAIは得意としてそうですよね。もしかしたら、俳優やカリスマ性のある人間なんかより先に、マンガ家や編集者のほうがAIに代替されてしまうのかもしれません。

そうならないように僕たちは頑張って面白いものをつくるぞ!という気持ちや気概は当然持ちつつも……。

心のどこかで、「AIが描くものは(どうせ)つまらない」「AIを使うのは人間だから」という気持ちが、描き手にも読み手にもあるのかもしれません。

たしかに現時点ではそうでしょうし、どこまでも創造性こそが人間の得意とするところのままなのかもしれません。ただ、「マンガで大事なのはキャラクター!」が強調される中、まさにそのキャラクター性のトレース・再現というのが、AIの得意とするところなのも事実です。

それこそマンガは、読者によって「AIが描いたほうがより面白くなるなら、それでいい」という判断をされる分野でしょう。

文明の進歩によって人間が不在となった役割は、これまでも無数にありました。この先、洗濯機や冷蔵庫やエアコンなんかが無かった時代に戻れないように、自動運転が近いうちに自動化される時代がくるように。

「AIが描く前って、マンガってマジでつまんなかったよね」と思うような時代が、いつかくるんでしょうか。

怖いような、少し楽しみなような・・・というところで、また次回。さよなら〜!

<追伸>

僕(ごとう)については、「ごとうGPT」みたいなプロンプト残しておけば、永遠に「ネームできる講座」が量産されるという理屈も成り立つわけですよね。

あれ、それはそれでアリなような・・・??

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ごとう隼平
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